まずは、、
台風被害に遭われた方に、心よりお見舞い申し上げます
北海道地震で被害に遭われた方に、無事を祈っております
一日も早い復旧を願っています
私も、東日本大震災の時の被災者になりました
今回は津波が無くてまだ幸いでした
東日本大震災の場合は地震より津波で多くの方々がお亡くなりになりました
当時、私は
誕生日の前で、二階建ての家具屋さんに行ってました
一階のトイレに行った時、揺れが起きました
長い揺れで、とても歩ける状態ではありませんでした
二階の床が落ちてきたと声が聞こえました
警備員の女性が、ずっと側に
いてくれたのを覚えています
強化ガラスが割れたドアから
逃げました
いつのまにか顔に何個かガラスがついてて、血がでてました
家に戻ってからは、
怒涛の毎日で、とにかく生かされたことに感謝しました
あれから7年半経とうとしてますが、復旧はなりましたが復興はまだまです
でも、そんな時こそ人々の優しさを沢山感じました
周囲の皆さんが自分のことより相手の食事、安全、不自由を考えるようになりました
今まで挨拶もしない通りすがりの人とも無事を確認するように声を掛け合いました
なかなか物資の届かない過疎地に、支援物資を届けに行きました
みなさん、物が無くても笑顔で向かえてくれました
「私達より、もっと酷い人達にあげて下さい」
どれだけその言葉を聞いたでしょう
あの寒さの中、水も川の水を取りに行ってる人達に言われるのです
電気が通らないため、ドラム缶の上で食べ物を焼いて食べたりしていたのです
水害にあったお年寄りの衣類が欲しいと言われて、渡したら、、、
介護ホームに支援物資を届けようとして、帰り道車が水没しお亡くなりになった方もいました
生死を分けた災害でした
私は急な喘息で、2カ月声が
でなくなり、肺炎にもなって
自分の不甲斐なさに情けなく感じました
友達も訳の分からない微生物が入った田んぼの土を再生しようと、泥すくいを頑張って
してました
(他人の田んぼです)
時が過ぎると、震災まえの普段の生活になりました
知らない人はもちろん、無事を確認の挨拶もしなくなりました
しかしながら、あの時の心は
生きていると思います
災害後いろいろな話しが出ていますが、現場にいた私はそう感じています
私も沢山の知り合い、友達、身内を失いました
災害への準備と警戒、訓練などは、いつでも心に留めておくといいかなと思っております
震災時建物は一階が水没
二階で被災者の方をしばらく
お世話していたそうです
今は再開して、、、
被災で頑張ってたお店や、場所、人々は応援しようと思っています
いくらのキラキラ丼など有名です