昔、小学生の時の土曜日に学校を終えて帰っていると外なのに、いろんな家からテレビの声が聞こえてきて、ちょっと嬉しいウキウキした気分になってました
5、6年ぐらい近所が平屋の住宅地に住んでたこともあり、土曜日になると、お昼を食べに帰ってきてるお父さん達がテレビを見ている音だったり、もう帰ってきてたりする家族の音だったり、チャーハンのような匂いや野菜を炒めてるような匂いがすると、妙に安心感があって早く家に帰ろうと思うのでした
しかし、、自宅に帰ると、母親は仕事に出てて、父親もまだいない、、、
お腹が空いたら冷蔵庫から取って食べるように書いてある、、
昔は電子レンジなんてない頃は、冷たいオカズを食べたくなくて、テーブルにあったお金をもって、食べ物を買いに行こうと外にでるのでした
毎週土曜日は書道の時間で、早めにご飯を食べなきゃない、、
小学校2年生になってから、神社に書道を習いに行ってたからでした
父に知り合いの中華料理屋にご飯食べに行ってもいいと言われても、そこは子供
なかなか中華屋やってる場所に子供1人では行きづらく、あの大きな器のラーメンを腹いっぱい食べたいとは思わない
でも自宅のガス台はボンベがそのまま引かれているガス台だったので、ガスを使うのはまだ早いと言われてました
それで、いろんな所へ飛んでって?
遊んでると、近所の子のお母さんが蒸しぱんくれたり、焼きそば食べさせてくれたりしたので、お昼ごはんの事はすっかり忘れてるのでした
お風呂は無くて、土曜日だけは親子3人で坂を降りて歩いていったところの銭湯に行ってました(平日は母と2人で)
銭湯から上がるとガラスの冷蔵庫に2種類の飲み物があって、番台側の衝立を覗くと父は扇風機の前で牛乳を飲んでいる
私はコーヒー牛乳、母は私が全部飲めないのを知っていて、残すとそれを飲んで
「さぁ、pちゃん帰ろうか、、」
という母の声で家へ帰るのでした
昔父親の初任給の明細を見せられたことがありました 色々引かれて
初任給 17000円
父が役所へ働いた頃は昭和30年代頃だったと思うけど、地方公務員の給料はそんな感じだったのですね
美容師だった母親も外へ出かけお裁縫センターなどで働いてたりしました
ようやく安定してきても、父の実家の民宿&何でも屋の手伝いに行ったりして大変だったと思うけど、、
私は虚弱だったので、病気になるたび母親が働く場所を変えてたのを知ってました
おそらく長期休みを認めてもらえなかったのかと、、
オイルショックで母親が大量にトイレットに使う四角い化粧紙を沢山持ち帰ってきたのを思い出します
でも母が一番嬉しそうにしてたのは、山形に行き、祖母に怒られてる姿でした
祖母にしこたま怒られてるのに、ニコニコして笑ってる母親を不思議そうに私は見ていました
亡くなる前に山形に帰りたいと言った母親の胸の内を知ったのは初めてでした
母親の顔を思い出すと笑ってる顔しか思い浮かびません
いつの頃も母親ってすごいなぁ、、、
と思いました
ちょっと母親に似てるのでw
実家所有物にて、、
注)
そのままの気分で書いてしまい、文章読みにくくてすいません(^人^)